立教戦に向けて ー 4年 斎藤優亜

今シーズンは自分にとって本当に大きな不安と戦った一年だった。

新シーズンが始まってすぐの12月20日、左足のアキレス腱を断裂した。

やった瞬間自分の中で「これはやばいかも」っていう感覚はあったけれど、いざ病院で「手術して復帰まで半年はかかる」って言われると本当にこれからどうしようっていう気持ちと絶望しかなくて、ただただ落ち込んでた。

そこから入院して松葉杖がとれるまではほとんど動くこともできなくて、本当は考えたくもなかったんだけどひますぎて色々なことを考えていた。

これまでの自分のこと、これからの自分のこと。

改めて怪我をするまでの自分のことを振り返ってみると、新チームになってからの自分はとても傲慢になっていたのではないかと気付いた。

数少ない4年の内の一人としてチームを引っ張らなければいけない。DFリーダーとしてDFチームを引っ張らなければいけない。

そんな責任感やプレッシャーに、自分でも気づかぬうちに負けてしまっていたんだと思う。

他のロングに自分が下級生の頃だったら絶対できないようなこと求めて、できなかったことに一人で勝手にイライラしたり、プレーでも自分もまだまだ下手なのに周りのレベルが下がったことに甘えて、ちょっとでもうまくいかなかったら力任せなプレーばかりして誤魔化していた。

こんな態度ではプレーヤーとしてはもちろん、人間としても成長はないと深く反省したし、フィールドを離れてゆっくり考える時間ができたことで自分の弱さに気付くことができたのはすごく良い機会になった。

そして、もう一つ怪我をして気づいたことがある。

それは、どんな状況でも成長するため、うまくなるためにできることは必ずあるということ。

ぼくは半年間、ラクロス部の一員でありながらラクロスをすることができなかった。

でも、そんなぼくでもラクロスはうまくなれたし成長できた。

たとえフィールドに立てなくても、探せばラクロスをうまくなる術はいくらでもあった。

僕はそれに怪我をしてラクロスができなくなってから気付いたけど、これはみんなに言えることだと思う。

怪我でプレーができない人。バイト、勉強が忙しくて時間がない人。スランプでうまくなってる気がしない人。

みんな色々な問題、課題を抱えながらラクロスをしていると思うけれど、大事なことだからもう一度だけ伝えたい。

どんな状況でも成長するため、うまくなるためにできることは必ずある。

考えられない、見つけられないなら誰かに相談してほしい。もちろん僕でもいいし、コーチでも同期でもいい。

だから、常に自分のできることを探し続けるのをやめないでほしい。

そして最後に。

怪我をして、今ある環境が当たり前ではないということ、色々な人に支えられて今があるということを一番大きく実感した。

走れること。パスができること。ラクロスができること。

今まで当たり前だったことが当たり前ではなくなって、自分がどれだけ恵まれていたか分かった。

このことを実感してから、ラクロスをすることに対する責任のようなものが増した。

ラクロスを義務でやっているわけではないが、自分がラクロスをしている背景には、環境を作ってくれたOBOG、支援してくれる両親、教えてくれるコーチ、そして共にプレーしてくれるチームメイトなど様々な人がいるんだということを強く意識できるようになった。

さっきは怪我した当初絶望しかなかったと書いたけれど、今では怪我をして良かったと自信を持って言える。

怪我をして、普通に一年間プレーをしていたら絶対に得られないもの、気づかなかったものを得ることができた。

同期にも本当に助けられた。

怪我したあと一番最初に連絡をくれたし、遠いのに家にも病院にもわざわざ来てくれた。素直に嬉しかった。

人数はとても少ないけれどやっぱり僕は24期が好きだし、この24期と勝ちたいという想いが一層強まった。

リーグ戦前に見たpump up pvの中で印象に残っている言葉がある。

筒井さんの言っていた「4年間が素晴らしいものだったことを自分の手で証明してほしい」という言葉だ。

本当にその通りだと思うし、僕はチームが勝つことで自分の4年間を証明するのではなく、自分がチームを勝たせることで4年間が最高のものだったと証明する。

双。

#5 DF 齊藤優亜

 

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